|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 最 : [さい] 1. (n,pref) the most 2. the extreme ・ 最後 : [さいご] 【名詞】 1. last 2. end 3. conclusion ・ 最後の晩餐 : [さいごのばんさん] (n) the Last Supper ・ 後 : [のち] 1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future ・ 晩 : [ばん] 1. (n-adv,n-t) evening ・ 晩餐 : [ばんさん] (n) dinner ・ ラン : [らん] 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
『最後の晩餐』(さいごのばんさん、)は、ルネサンス期のイタリアの画家ドメニコ・ギルランダイオが制作したフレスコによる壁画で、同主題の作品3件がフィレンツェ周辺の3カ所に現存している。いずれの作品も、最後の晩餐におけるイエスと十二使徒たちを描いたものであり、イスカリオテのユダは、長いテーブルの手前側にひとりだけ配されるという、において一般的な描き方が用いられている。 レオナルド・ダ・ヴィンチは、最後の晩餐を主題としたギルランダイオの作品や、カスターニョの諸作品の描き方に通じていた可能性が高く、自身が描いた最後の晩餐において、これら先行した作品の静的な描写とは対称的な、より劇的な形態を描いて、より多くの感情を表現しようとした〔''Leonardo da Vinci, the Last Supper: a cosmic drama and an act of redemption'' by Michael Ladwein 2006 page 27〕。ケネス・クラークは、ギルランダイオとペルジーノを引き合いに出して、当時の一般的な最後の晩餐の描き方の画一的な構図を指摘し、レオナルドの創意を賞賛している〔ケネス・クラーク,丸山修吉/大河内賢治訳『レオナルド・ダ・ヴィンチ』法政大学出版局,1974,p.136.「彼らの構図は一〇〇〇年も前から信心深い人々を満足させてきた構図と根本的には同じで,およそ次の通りだ.使徒一一人はテーブルの向こう側にきちんと一人一人静かに座っている.ときには互いに話をしている場合もあるし,ぼどう酒を飲んでいる場合もある.キリストは中央に座っていて,聖ヨハネは窮屈そうにキリストの膝に顔を伏せている.ユダはただ一人テーブルのこちら側にいる」〕。これに対して宮城徳也は「レオナルドの卓越性に関しては何の異論もない」とした上で、ほぼ同構図のオンニッサンティ教会とサン・マルコ教会の『最後の晩餐』において、「背景に鳥と植物によって楽園のイメージが描かれている」ことについて、一定の留保を付けながらも、ギルランダイオの独創性を見るべきだと論じている。 == バディア・パッシニャーノ教会の「最後の晩餐」== ギルランダイオが最初に取り組んだ『最後の晩餐』とされ、使徒たちは伝統的な表現に従って一直線の長いテーブルの向こう側に描かれ、イスカリオテのユダだけが、手前側に描かれている。構図については、アンドレア・デル・カスターニョの『最後の晩餐』との共通性が指摘されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「最後の晩餐 (ギルランダイオ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|